depressjapan's blog

普段は広告会社勤務でアジア某国にて起業準備中な人の頭の中。

エスカレーター理論

デパートや駅構内でエスカレーターに乗ることがあるが、

その時に思うことがある。

立ち止まっている人が多すぎる。

私はよほどのことがない限りエスカレーターは歩く。

エスカレーターの流れを使えば、階段を使うよりも

より速く移動できるからだ。

エスカレーターを使うたびに、なぜ多くの人は立ち止まって

呑気にしていられるのか少し考えた。

それが以下に記すエスカレーター理論である。

 

簡単に言うと、エスカレーターを歩いて登る人は

より適切な時間に対する考え方を持っている。

逆に、エスカレーターの流れに身を任せて立ち止まっている人は

凡人かそれ以下である。

これがこの理論の趣旨だ。

 

これは私の独断だが、エスカレーターで歩く人は

時間感覚が甘いと思う。

はっきり言って、エスカレーターで立ち止まるのは目障りである。

二列のエスカレーターで右側が歩けるようなもの(大阪は逆)は

まだましだが、一列のエスカレーターで立ち止まられると

非常に迷惑である。

こっちが急いでいても追い越せないし、無理矢理通ろうとすると

トラブルになって面倒くさいことになりかねない。

たかだか数秒、十数秒ではあるが、立ち止まっている人は

その後ろの人達の時間を奪っていると言わざるを得ない。

 

こういう人は、時間の大切さがわかっていないのだろう。

だからこそエスカレーターで立ち止まれたりするのだ。

 

エスカレーターで立ち止まることそれ自体が問題ではない。

時間感覚が甘いからこそ、無意識のうちにそれが出てしまうのだ。

そういう人たちは、日頃の生活においても時間を無駄に

使っていると断言してもよい。

神は細部に宿るというが、時間に対する感覚も例外ではない。

エスカレーターを歩くかどうか、という一見無関係と思える事象にも、

その人の時間感覚が垣間見えるのである。

 

時間に対して敏感な感覚を持っている人は、エスカレーターで

立ち止まっていると気持ち悪くてしょうがないと思う。

(現に私がそう)

私は、エスカレーターで前の人が立ち止まっていると

うずうずしてしまう。

年配の方や大きな荷物を抱えている方が前にいれば別だが、

明らかに歩けるだろうという人がのんびりしていると

時間を返してくれと思ってしまう。

 

移動する際にエスカレーターに乗るか、階段を登るのか。

これが普通の人の選択肢だが、私から言わせればひとつ足りない。

エスカレーターを歩く。

これが貴重な時間に対するベストな選択肢だ。

時間にルーズな方は、まずはこういった細かいところから

意識してみてはいかがだろうか。

 

蛇足だが、私の地元の駅のエスカレーターには、

ご丁寧にも「エスカレーターは危険なので歩かないでください」

という注意書きがある。

当然ながら無視だ。電車内でのケータイ禁止(以前の記事参照)

ぐらい意味がわからない。

エスカレーターで転ぶと危ないですよ、というのが理由らしいが、

転ぶ時は階段だってどこだって転ぶ。

エスカレーターは歩くな、と言われてもシカトしてよい。

 

※身体の不自由な方、重たい荷物をお持ちの方はもちろん例外です。

あと、大江戸線六本木駅にあるようなものすごく長いエスカレーターは、

さすがに歩かなくてもいいとは思う。